2018年7月掲載 帝人久村奨学生の進む道(第5回)
研究開発の喜び
第5期生
九州大学名誉教授 國武豊喜
家庭の事情もあって、私は九州大学工学部を終えたら直ちに企業に就職して社会に出ることを予定していた。企業でも研究開発に従事したいとのこだわりもなかった。ところが、卒業研究を始めてから研究の面白さを実感してしまった。研究テーマ自体は初心者にふさわしい練習実験のレベルで、エステル縮合重合の過程を追う内容であった。それでも全くの初心者にとっては、自分自身のテーマを抱えて実験を工夫し研究を展開していくプロセスは新鮮で心が躍るものだった。大学であれ企業であれ研究開発を一生の仕事とする人生も悪くない、と思い始めたのはこの時だ。幸い、日本育英会や久村奨学会のお陰で大学院に進学することができた。引き続き、Fulbright留学制度を利用して、当時ポリマー合成の分野で世界的に知られていたペンシルバニア大学のPrice教授の研究室に加わった。博士課程を修了してから、カリフォルニア工科大(通称CalTech)でポストドクとして酵素化学の研究を行った後、九州大学に戻って助教授として仕事を始めた。
九大工学部合成化学科での私の所属は高分子合成の講座だった。ラジカル重合やカチオン重合など典型的な高分子合成の研究が主であったが、私自身のサブテーマを持って、1960年代初め国際的な競争が始まっていた加水分解酵素をモデルとする機能性ポリマーの開発をスタートすることができた。数年間苦闘したこのテーマでは、苦し紛れの実験から思いがけない展開を見ることとなり、その後順調に展開して1970年ころからは国際会議に招待されての講演もずいぶん増えた。
だが酵素分子に見る生体の精密な組織化とそれに伴う高度な機能性は合成ポリマーでは再現できない。私の関心は、そのギャップをどう埋めるかにあった。1970年代なかば、細胞膜の多様な機能性は脂質二分子膜とたんぱくからなる分子組織に基づくことが明白となった。私たちは、二分子膜の自己組織化が生体脂質の独自の分子構造によるものではなく、より一般的な物理化学的特性のみに基づくとの大胆な仮説を立てた(1977年)。そして数多くの合成化合物の電子顕微鏡観察からそれを確定することができた(~2000年)。これらの成果は「分子の自己組織化」のより広い研究分野が展開するきっかけとなった。だが、これら合成二分子膜の産業応用には限界があった。21世紀初め、理化学研究所で推進したフロンティアプロジェクトから、サイズはマクロで厚みはナノの「巨大ナノ膜」が生まれた。私たちは今この膜を活用して、大気中の炭酸ガスを新しい炭素資源として利用することを模索している。
帝人奨学生の皆さんに伝えたい。研究開発には、どんな分野であれ、大きな喜びと苦労が分かちがたく含まれている。出発点は知的好奇心と問題意識(社会的、個人的な)である。人工知能(AI)の進展で多くの定型的な仕事が失われるとの予測があるが、優れた研究開発にはその心配はなかろう。新しい手段が生まれたらそれを使ってさらに新しい課題に取り組む勇気が必要となるだけである。